田麦山ときどき新聞

田麦山の現状と田麦山ネットワークの活動をお知らせします。

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田麦山に初雪

 11月30日、魚沼地域に初雪が降り、田麦山でも3〜4センチメートルの積雪がありました。田畑は一面の雪景色となりましたが、道路の雪は融け、自動車等の通行には支障がありません。本格的な雪のシーズンを迎え、スノータイヤに履き替える作業をしている方をあちらこちらで見かけました。夜は大変冷えたものの、翌12月1日は午前中から日が差し、気温も上昇。しかし2日は一転して雨、未明から雷鳴が鳴り響きました。予報によると、3日の日からしばらく雪が続くとのことです。
 当新聞は、人手不足のため、発行・配達が当分できない状態ですので、頂いている投書をここにご紹介させていただきます。編集部の判断で、個人名はイニシャルに変えさせていただきました。悪しからずご了承ください。田麦山出身で、首都圏在住の方からのご投稿です。


[サツマイモがおやつ]だった頃

 学校のグランドや神社の境内で遊んだ後(ほとんどがハダシだった)、水道の蛇口にかぶりつき「鉄管ビールだぁ、うまいなー」と言いながら、家に帰るとサツマイモがおやつ代わりだった。
 どこの家に遊びに行っても、おやつはサツマイモ。その家々で味が微妙に違うような気がしたから不思議だった(蒸し加減か塩加減か)。
 皮から食べないともったいないと、と丸ごと食べたサツマイモ。ミカン(外皮ごと)もリンゴも皮ごと食べるのが格好良かった時代。そう言えば、水道が出来たのも、ガスが出来たのもその頃だった。
 そんな田麦山から上京して40年が過ぎ、あと少しで還暦。定年まで一年少々の今秋に、昔の会社関係の上司・同僚達にこんな挨拶状を出しました。

 『拝啓、錦秋の候ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。昨年の(故郷)新潟県中越地震災害に際しましては、温かいお励ましを頂き改めてお礼申し上げます。
 さて、私儀あと一年少々でサラリーマン生活の卒業を迎える年回りとなりました。浅学非才の小生が、曲がりなりにもここまで来られましたことは、ひとえに貴方様はじめ知遇を頂いた多くの方々からのご指導・ご鞭撻の賜物と心から感謝申し上げる次第です。
 何回もの転勤(10回)、転居(9回)がありましたが、公私にわたりたくさんの素晴らしい出会いと、かけがいの無い思い出を頂きました。
 定年後の処世につきましては、全くの無芸・凡人ゆえ隠遁か、第三の青春探しか等々思案中でありますが……』

 ざっとこんな内容であります。
 あのショーシガリヤの小生が還暦間近かとは、まさに光陰矢のごとし。
 田麦山にいた歳月の2倍以上を都会で過ごしたのに、鮭や鮎の回帰本能ではないけど、年を追うごとに田麦山が恋しくなってくるのも、また事実である。
 そんな矢先の大震災。田麦山に対し何も出来ないまま一年が過ぎてしまいましたが、また田麦山で四季を感じたいとの思いがますます強くなってきてもいます。
 「村の渡しの先頭さんは、今年六十(歳)のおじいさん、年はとっても〜」
 かつてはそう言われた年回りではあるが、冗談ではない、まだまだ元気モリモリである。食い気だっても飲むことも、歩くことでも《若いもんには負けない!》(つもり)
 そうは言っても、無芸大食、定年後はどうしよう? 食い気だけで田麦山に帰って大丈夫かな? などと、悩みだした今日この頃。
 そんな11月の22日、会社帰りに息子夫婦と会っての帰り、上野の地下道で田麦山出身のあのI.M.さん夫妻とばったり。『こんなに(1000万人も)たくさん人のいる東京で奇遇だ』とばかり、(相当飲んできた後だったけど)ビール・紹興酒で乾杯乾杯!
 飲んだ勢いもあり『定年になったら、田麦山に帰って暮らそうかな』と、人生の達人I氏に宣言(?)したのです。
 陰の声: ネオンが恋しくて無理じゃないの?

 <真夏の夜の夢、ならぬ晩秋の夜の夢>
 有言実行になるよう頑張ってみたいと思うオジサンでした。

平成17年11月28日                   (E.S)


 もうひとつ陰の声: 田麦山のオクマッタ村にも、たまにネオンが灯るらしいですヨ。

 
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Nさん | 2005/12/05 09:55 PM
E.Sさんは、O高校の優等生しか入れない超大手銀行
でビジネスキャリアを積まれており、人格温厚かつ
自ずからリーダーに担がれる方であります。
故郷に戻られたら、町の宝となりましょう。